show goes on

 この多方面の訳著は、今日のあらゆる投機的訳著業者の場合とまったく同様に、けっして偶然の配列をもつものではない。『西洋事情』続篇の筆を休めて、時到らば『雷銃操作』の翻訳にかからねばならない。「先生がこの書を翻訳された由来は、当時長州征伐のことあり、長州方は小人数でかつ農兵などを使用したが、その武器は新式であって、なかんずくライフルのごとき、その勢当るべからず、徳川方の敗戦は全くこれがためだとの評判であった。先生これを聞き、近いうちに日本国中にライフルの流行を見るであろう。何とかしてライフルの事を書いた原書を得たい……」(『福沢諭吉伝』)。そこで、芝口和泉(しばぐちいずみ)屋善兵衛(ぜんべえ)店で偶然ライフルに関する古本「原書」を入手した日から異常な苦心がはじまるのである。
 このライフル本はおおいにあたって発売数幾万にのぼった。ついで「慶応四年」七月付『兵士懐中便覧』は東北連合軍のため仙台で版行され、これと戦うべき官軍熊本藩の依頼によって大至急で翻訳上梓された『洋兵明鑑』には「明治元年晩冬」の序文が付せられている。というふうで、着想自在、度胸もふんべつも満点のジャーナリストであった。
 ちなみにこの種軍事物は、十七巻の全集中、この内乱期を除いてはただ一部安政四年緒方(おがた)塾でへんな動機で脱稿して『全集』ではじめて活字になった「築城書百爾之(ペルの)記」全六冊があるだけだ。

 幕政改革をめざす折衷派の盟主島津久光(しまづひさみつ)が上洛するその直前をねらって、七百の同志をもって伏見と江戸で同時に事を挙げ、京都所司代(しょしだい)と江戸閣老を斃し、公武合体派を抑制しつつ一挙「鎌倉以前の大御代を挽回」するというのが、寺田屋に憤死した「浪士」派の、粒々半カ年にわたる工作の荒筋だった。この工作途上に、ことに前半、非常に大きな宣伝煽動家の役割をしたのが清河八郎、庄内(しょうない)の酒造家で豪農で郷士だった家柄の長男に生れ、江戸へ出て文武の道場を開いていた。ブルジョア地主出身のいわばインテリで白皙(はくせき)長身、満々たる覇気と女郎買いをしたことまで日記につける律気さがある。文久元年秋から二年春へかけての彼の活躍の跡を、なかんずくその連絡の結節をたどってゆくと興味深い。

 この大五十銭玉は、二枚で一円、それだけの重さの一円銀貨も、べつにつくられていたのだが、この一円新銀貨は、開港いらい貿易に用いられてきた「米ドル」や「墨銀」の一ドル銀貨と同品位同価値のものにつくられている。
 この一円銀貨は貿易銀と称して、明治十一年まで開港場以外の内地通用を禁じられていたものだが、明治四年六月十六日から新円と旧銀貨(一分銀)の交換を開始するにあたって、一分銀三百十一個をもって新貨幣百円と交換改鋳する旨を発表している。
 旧幕以来の一分銀は四個をもって金一両、四百個が金百両と交換されてきたのであるが、そもそもこの一分銀三百十一個をもって米銀百ドルと交換することにきめたのは、お吉(きち)で名高いハリスの狡猾(こうかつ)と、幕府役人のまぬけさに基づく、日本にとっての大失敗であった。

  

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