和辻 哲郎 2

 遠望であるから細かいところは見えないものと承知していただきたい。
 ごく大ざっぱな観察ではあるが、美術院展覧会を両分している洋画と日本画とは、時を同じゅうして相並んでいるのが不思議に思えるほど、気分や態度を異にしている。もちろんそれは文展についても言えることであり、すでに十何年の歴史を負っている事実でもあるから、今さらことごとしく問題にするには及ばないかも知れぬ。しかし僕の遠望観は、ぐるぐると回っている内に、結局この問題に帰着するのである。
 何人も気がつくごとく、ここに陳列せられた洋画は主として写生画である。どの流派を追い、どの筆法を利用するにしても、要するに洋画家の目ざすところは、目前に横たわる現実の一片を捕えて、それを如実に描き出すことである。彼らにとって美は目前に在るものの内にひそんでいる。机の上の果物、花瓶、草花。あるいは庭に咲く日向葵、日夜我らの親しむ親や子供の顔。あるいは我らが散歩の途上常に見慣れた景色。あるいは我々人間の持っているこの肉体。――すべて我々に最も近い存在物が、彼らに対して、「そこに在ることの不思議さ」を、「その測り知られぬ美しさ」を、描かれることを要求する。従って彼らは、いかなる描き方をする場合にも、写実的な態度を失わない。

 歌舞伎芝居や日本音曲は、徳川時代に完成せられたものからほとんど一歩も出られない。もし現在の日本に劇や音楽の革新運動があるとすれば、それは西欧の伝統の輸入であって、在来の日本が生み出したものの革新ではない。それに比べると日本画には内からの革新衝動があるように見える。たといそれが、世界的潮流に乗っている洋画家の努力から見て、時代錯誤の印象を与えずにはいない程度のものであるにしても、とにかく現代人の要求を充たすに足りる新生面の開拓の努力は喜ぶべきことである。
 しかしこの十年来の革新の努力がどういう結果を生んだかという事になると、我々は強い失望を感ぜずにはいられない。美術院の展覧する日本画が明らかに示しているように、この革新は外部の革新であって内部のそれではないのである。

 この問題を考えるには、まず応仁の乱(一四六七―一四七七)あたりから始めるべきだと思うが、この乱の時のヨーロッパを考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチは二十歳前後の青年であったし、エラスムス、マキアヴェリ、ミケランジェロなどはようやくこの乱の間に生まれたのであるし、ルターはまだ生まれていなかった。ポルトガルの航海者ヘンリーはすでに乱の始まる七年前に没していたが、しかしアフリカ回航はまだ発展していなかった。だからヨーロッパもまだそんなに先の方に進んで行っていたわけではない。むしろこれから後の一世紀の進歩が目ざましいのである。シャビエルが日本へ来たのも、乱後七、八十年であった。
 応仁の乱以後日本では支配層の入れ替えが行なわれた。それに伴なう社会的変動が、思想の上にも大きく影響したはずである。しかしそういう変動を問題とするためには、その変動の前の室町時代の文化というものが、一体どういうものであったかを、はっきりと念頭に浮かべておかなくてはならぬ。