和辻 哲郎 3

 ロシアの都へ行く旅人は、国境を通る時に旅行券と行李とを厳密に調べられる。作者ヘルマン・バアルも俳優の一行とともに、がらんとした大きな室で自分たちの順番の来るのを待っていた。
 霧、煙、ざわざわとした物音、荒々しい叫び声、息の詰まるような黄いろい塵埃。何とも言いようのない沈んだ心持ちが人々を襲って来る。女優の衣裳箱の調べが済むまでにはずいぶん永い時間が掛かった。バアルは美しい快活な少女を捕えてむだ話をしていたが、その娘は何の気なしにこういう話をした。「昨晩私のそばにいた貴婦人がひとり急に痙攣ちゃって、大騒ぎでしたの。そのかたも喜劇を演りにペテルスブルグへいらっしゃるんですって。デュウゼとかって名前でしたよ。ご存じでいらっしゃいますか。」そういってその娘の指さす方を見ると、うなだれた暗い婦人が、毛皮にくるまって、自分の荷物のそばに立っている。初めてこの時ヘルマン・バアルはエレオノラ・デュウゼの蒼白い、弱々しげな、力なげな姿を見たのである。

 岡倉先生が晩年当大学文学部において「東洋巧芸史」を講ぜられた時、自分はその聴講生の一人であった。自分の学生時代に最も深い感銘を受けたものは、この講義と大塚先生の「最近文芸史」とである。大塚先生の講義はその熱烈な好学心をひしひしと我々の胸に感じさせ、我々の学問への熱情を知らず知らずに煽り立てるようなものであったが、それに対して岡倉先生の講義は、同じく熱烈ではあるがしかし好学心ではなくして芸術への愛を我々に吹き込むようなものであった。もちろん先生は芸術への愛を口にせられたのではない。ただ美術史的にさまざまの作品について語られたのみである。しかし先生がある作品を叙述しそれへの視点を我々に説いて聞かせる時、我々の胸にはおのずからにして強い芸術への愛が湧きのぼらずにはいなかった。一言に言えば、先生は我々の内なる芸術への愛を煽り立てたのである。これはあの講義の事実的内容よりもはるかに有意義なことであったと思う。

 蓮の花は日本人に最も親しい花の一つで、その大きい花びらの美しい彎曲線や、ほのぼのとした清らかな色や、その葉のすがすがしい匂いや肌ざわりなどを、きわめて身近に感じなかった人は、われわれの間にはまずなかろうと思う。文化の上から言っても蓮華の占める位置は相当に大きい。日本人に深い精神的内容を与えた仏教は、蓮華によって象徴されているように見える。仏像は大抵蓮華の上にすわっているし、仏画にも蓮華は盛んに描かれている。仏教の祭儀の時に散らせる華は、蓮華の花びらであった。仏教の経典のうちの最もすぐれた作品は妙法蓮華経であり、その蓮華経は日本人の最も愛読したお経であった。仏教の日本化を最も力強く推し進めて行ったのは阿弥陀崇拝であるが、この崇拝の核心には、蓮華の咲きそろう浄土の幻想がある。そういう関係から蓮華は、日本人の生活のすみずみに行きわたるようになった。ただに食器に散り蓮華があるのみでない。蓮根は日本人の食う野菜のうちのかなりに多い部分を占めている。
 というようなことは、私はかねがね承知していたのであるが、しかし巨椋池のまん中で、咲きそろっている蓮の花をながめたときには、私は心の底から驚いた。蓮の花というものがこれほどまでに不思議な美しさを持っていようとは、実際予期していなかったのである。